古宮古墳
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- タイトル
- 古宮古墳
- タイトルかな
- ふるみやこふん
- 制作年代
- 古墳時代末期(7世紀)
- 時代
- 古代-飛鳥時代
- 品質・形状
- 石棺式石室墳
- 寸法
- 石室(内法) 幅:81cm 高さ:88cm 奥行:221cm
- 解説
- 椎迫天満宮の裏手にあたり、椎迫丘陵の南側斜面にある南北約12.5m、東西約12mの方墳です。石室に至る羨道部(せんどうぶ)は、側壁の板石の上に天井石を乗せています。天井石は、幅約2m、高さ約1m、奥行約2.5mで、両端部には、側壁石を組み込むように加工を施しています。左右の側壁石は、長さ約1.6mと0.82mの各2枚の石を使用していて重量感があります。玄室は、幅1.4mの巨大な凝灰岩(ぎょうかいがん)のほぼ中央部を幅0.78m、奥行2.11mくり抜いたものです。古宮古墳は、古墳時代終末期、7世紀中頃から後半にかけて造られたものと考えられています。このようなくり抜き式の横口構造をもつ石棺式石室は、7世紀中頃前後に幾内の中旧貴族の間で流行したもので、九州では他に例がありません。その特徴から、被葬者は大和政権と深く関わっていた人物と推定され、「日本書紀」に壬申(じんしん)の乱(672年)で活躍したことが記されている大分君恵尺(おおいたのきみえさか)・稚臣(わかみ)という2人の豪族のうち、とくに恵尺が有力な候補者として考えられています。古宮古墳は、南側に川があり背後に山を背負うという風水の考え方(風水思想)にもとづいて造られたと考えられています。平成8年3月に、史跡公園としての保存整備事業が完了しました。
- 地域
- 大分西部
- 所在地
- 三芳字宮畑
- 指定区分
- 国指定-史跡
- 指定年月日
- 1983/05/11
- ジャンル
- 遺跡