毛利空桑墓
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- タイトル
- 毛利空桑墓
- タイトルかな
- もうりくうそうはか
- 制作年代
- 江戸時代
- 時代
- 近世-江戸時代
- 寸法
- 面積:9㎡
- 解説
- 毛利空桑は、寛政9年(1797)熊本藩領常行村に生まれた。名は倹、通称到。脇蘭室・帆足万里・大城霞坪・亀井元鳳に学び、文政7年(1824)郷里で家塾「知新館」(のち如来館)を開く。文武兼修を説く。居を鶴崎に移し、私塾を営む一方鶴崎茶屋などで講義をし、藩の設立した成美館の訓導となる。幕末動乱期には尊王派を支援し、高田源兵衛・大楽源太郎らが空桑のもとを訪れた。明治17年(1884)没す。空桑の墓碑には「日本国儒者毛利到墓」と刻されており、隣には夫人の墓がある。(「大分県の文化財」1991 292頁)
- 地域
- 鶴崎
- 所在地
- 大分市常行329
- 指定区分
- 県指定-史跡
- 指定年月日
- 1987/06/29
- ジャンル
- 建造物