府内城跡

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タイトル
府内城跡
タイトルかな
ふないじょうあと
制作年代
江戸時代
時代
近世-江戸時代
解説
府内城は、荷揚城・白雉城とも呼ばれているが、慶長2年(1597)臼杵より入部し、大分・速見・玖珠3郡で12万石の領地をもった福原直高によって城地を選ばれ、築城された。豊臣秀吉によって「豊府ハ国中ノ咽喉也、汝要害ヲ見立改築スベ」しと命じられたものである。慶長4年、三重櫓と家臣屋敷が完成したが、福原は慶長5年改易された。関ヶ原合戦後、竹中重利(重隆)が府内城主として入り、石垣をはじめとする増築を行い、慶長7年までに4層の天守閣と諸櫓・門・三の丸・北西砦(山里丸)が造られた。城下町も含めての完成は、慶長12年であった。その後、城主は日根野氏が入るが、万治元年(1658)松平忠昭が22,000万石で入り、明治4年(1871)まで歴代松平氏が領した。廃藩置県後は、大分県庁が置かれた。
地域
大分中央
所在地
大分市荷揚町74番他
指定区分
市指定-史跡
指定年月日
1995/02/17
ジャンル
遺跡

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