展示構成
第1章 大分の戦争
かつての大分市域には多くの軍事関連施設があり、戦前から、大分には旧日本陸軍の歩兵第47連隊が駐屯し、その基地がありました。大分県出身者で構成されたこの連隊は郷土部隊と呼ばれ、日中戦争が始まると戦地に派兵されました。
さらに、旧日本陸軍は豊予海峡防衛のために豊予要塞を築き、高島や関崎などに砲台を設置するなど、海峡を侵攻してくる船等を想定し、備えていたのです。


第2章 戦争と市民
戦争は日常の生活に深く結びつき、人々が普段目にする新聞や雑誌などでは、戦況や軍事に関する記事が中心を占めるようになりました。戦況の悪化に伴い大分でも空襲が始まり、1945(昭和20)年7月16日の空襲によって、大分市中心部は壊滅的な被害を受けました。当時の旧荷揚町国民学校の学校日誌には、空襲警報の発令時間など、空襲の日の状況が記録されています。


第3章 終戦その時
1945(昭和20)年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れて降伏することを決定し、「玉音放送」によって各地に報じられました。このことから私たちは8月15日を「終戦の日」としています。しかし、この日以降も捕虜となった兵士たちはシベリアやモンゴルなどに抑留され強制的に労働を科され、また満州や朝鮮半島に移り住んでいた人たちは過酷で長い引き揚げを余儀なくされるなど、困難な状況は戦後も長く続くことになります。


第4章 平和な社会に向かって
戦争は多くの悲劇を生み出しました。日本は米軍を中心とする連合軍に占領され、空襲で焼け野原になったまちなど多くの戦争の傷跡が残されました。それでも日本は復興にむけて歩み始め、1947(昭和22)年には戦争放棄をうたった第9条を含む日本国憲法を制定し、平和な社会を築き現在に至ります。


会期
令和7年7月19日(土)から令和7年9月28日(日)
開館時間
午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日
- 7月22日(火)、28日(月)
- 8月5日(火)、12日(火)、18日(月)、25日(月)
- 9月2日(火)、8日(月)、16日(火)、22日(月)、24日(水)
観覧料
- 大人210円(団体150円)
- 高校生100円(団体50円)
- 中学生以下は無料
※団体は20名以上
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障碍者保健福祉手帳の交付を受けている方とその介護者1名は無料。入館時に受付で手帳を提示してください。