磨崖仏を訪ねる

高瀬石仏 たかせせきぶつ 国指定史跡(昭和9年1月22日)

霊山(りょうぜん)の北山麓、大分川の支流七瀬川の清流右岸谷筋の小丘陵に、高さ1.8m、幅4.5m、奥行1.5m程の石窟を掘り込み、その奥壁に、東を向いて彫られています。向かって右から馬頭観音(ばとうかんのん)坐像、如意輪観音(にょいりんかんのん)坐像、胎蔵界(たいぞうかい)大日如来坐像、大威徳明王(だいいとくみょうおう)坐像、深沙大将(じんじゃたいしょう)立像が彫出されており、平安時代末期の12世紀中ごろ以降の作とみられます。

中央の大日如来像は、ほとんど丸彫りに近いほど厚く彫り出されており、宝冠をいただき童顔です。向かって左端の深沙大将は、赤く彩色された炎髪(えんぱつ)を逆立て、どんぐり目に丸い顔、額に髑髏(どくろ)、胸にも髑髏の首飾りを付けていて、腹部には童女の顔を描き、赤い(ふんどし)をしめています。左手には身体に巻きつけた蛇の頭を握りしめ、両脚にも蛇を巻きつかせています。中国唐の三蔵法師がインドに赴く途中、砂漠で守護した神といわれ、奇怪な姿に似合わない腹部の童女の顔は、慈悲の心の表現ともいわれています。

七瀬川流域は、当時、(わさ)()氏によって開発された稙田荘のあった所で、石仏を造立したのも稙田氏とみられます。石窟の外、向かって右の崖に、小さな(がん)があります。中には一根三茎の蓮華座(れんげざ)の上に阿弥陀三尊像を浮彫りにしたものが残っています。一根三茎仏は飛鳥時代に流行したもので、平安時代末期になっても豊後では造られていたことが分かります。

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