鶴賀城について
鶴賀城は、大分市大字中戸次にある標高 193mの山頂を中心に築かれた山城で、天正14年(1586)の豊薩戦争で島津軍と激戦を繰り広げた歴史的な場所です。麓の集落との比高差は約150mあります。城内には主郭を中心に曲輪や土塁、堀切、横堀などが配置され、全体的に保存状態は良好です。
主郭は東西40m、南北25mのややいびつな形をしており、北側の一段高い部分を除く三方を高さ0.5~1mの土塁で囲んでいます。北側には約2~3mほど高い平場があり、さらにその北側には櫓台状の平場を持つ土塁が造られています。この一段高い平場の北側斜面には畝状竪堀を配置しています。また、主郭から南に延びる尾根は比高差8m程の切岸となっており、その下部には、三条の平行する堀切(横堀)と土塁が設けられ、守りを固めています。この切岸の脇には、櫓台のような張り出しが造られ、横矢掛けが可能となるよう工夫が施されています。主郭への入口(虎口)は、この切岸と横堀の間を通り、斜めに西へ向かって登るように設計されています。さらに主郭の北東部は土橋をもつ堀切で遮断され、その両脇に畝状竪堀群が配置されており、主郭への敵の侵入を防ぐための工夫がなされています。
この城の城主は利光宗魚。各種の記録からキリシタン武将であったことがわかります。
鶴賀城MAP
利光宗魚終焉の地(主郭櫓跡)
利光宗魚終焉の地(主郭櫓跡)
主郭の最も高いところに造られた櫓台の跡である。伝承では、鶴賀城主利光宗魚が、敵兵の銃弾により命を落とした場所といわれている
閉じる
曲輪
曲輪
曲輪とは、城の中に造られた区画のこと。「郭」・「廓」という漢字を使用することもある。周囲に土塁などの防御施設を巡らせる。
閉じる
土塁
土塁
土を堤防のように盛った防御施設。城の基本パーツの1つである。
閉じる
虎口(小口)
虎口(小口)
中世以降の城郭における出入口のこと。「こぐち」には狭い道・狭い口という意味がある。「小口」とも書く。
閉じる
横矢掛り
横矢掛り
側面からの攻撃(横矢を掛けるという)ができるように土塁や石垣を折り曲げたり、曲輪の隅を張り出させたりする工夫のこと。
閉じる
切岸
切岸
斜面を削って人工的な急傾斜の断崖とし、斜面下からの敵の侵入を防ぐために造られた防御施設の一つ。
閉じる
横堀
横堀
等高線に沿って掘られた堀。 曲(くる)輪(わ)や虎口(こぐち)部分の守りをより強固にするために設けられた防御用の堀である。
閉じる
畝状竪堀
畝状竪堀
山の斜面に沿って縦に掘ったもので、斜面での敵の横移動を防いだ。竪堀を何本も連続して並べたのが、畝状竪堀である。
閉じる
堀切
堀切
尾根の方向に垂直に造る堀のこと。通り道を途中で遮断する。
閉じる
縄張図の看板
縄張図の看板
現状の遺構から曲輪や防御施設の配置を読みとり、城の構造をわかりやすく示した図面を縄張図という。
閉じる
3Dマップの赤枠部分の拡大図です。マップの各名称をクリックすると動画を見ることができます。
動画一覧
長宗我部信親墓
長宗我部信親は、土佐国(高知県)の戦国大名長宗我部元親の嫡男。島津氏が豊後に侵入した際、信親は島津軍に討たれた。享年22歳。
オープニング
天正14年12月12日(1587年1月20日)に、島津家久率いる島津勢と長宗我部元親・長宗我部信親父子、仙石秀久、大友義統、十河存保が率いる豊臣勢の間で戸次川の戦いが行われた。
利光宗魚終焉の地(主郭櫓跡)
主郭の最も高いところに造られた櫓台の跡である。伝承では、鶴賀城主利光宗魚が、敵兵の銃弾により命を落とした場所といわれている。
曲輪
曲輪とは、城の中に造られた区画のこと。「郭」・「廓」という漢字を使用することもある。周囲に土塁などの防御施設を巡らせる。
土塁
土を堤防のように盛った防御施設。城の基本パーツの1つである。
虎口(小口)
中世以降の城郭における出入口のこと。「こぐち」には狭い道・狭い口という意味がある。「小口」とも書く。
横矢掛り
側面からの攻撃(横矢を掛けるという)ができるように土塁や石垣を折り曲げたり、曲輪の隅を張り出させたりする工夫のこと。
切岸
斜面を削って人工的な急傾斜の断崖とし、斜面下からの敵の侵入を防ぐために造られた防御施設の一つ。
横堀
等高線に沿って掘られた堀。曲輪や虎口部分の守りをより強固にするために設けられた防御用の堀である。
畝状竪堀
山の斜面に沿って縦に掘ったもので、斜面での敵の横移動を防いだ。竪堀を何本も連続して並べたのが、畝状竪堀である。
堀切
尾根の方向に垂直に造る堀のこと。通り道を途中で遮断する。
縄張図の看板
現状の遺構から曲輪や防御施設の配置を読みとり、城の構造をわかりやすく示した図面を縄張図という。
エンディング
天正14(1586)年12月、大野川(戸次川)の河原では、大友・四国連合軍と島津軍との激しい戦闘が行われた。長宗我部信親をはじめ、多くの武将が命を落とした。鶴賀城から望む大河の雄大な流れは今も変わらない。
- 撮影/編集:
- 大分県立芸術文化短期大学 藤原厚作研究室 4期生
- 出演:
- 髙橋泰夫氏(郷土史家)
大分県立芸術文化短期大学 藤原厚作研究室 4期生